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第10回介助つきコミュニケーション情報交換会のお知らせ

第10回
介助つきコミュニケーション情報交換会
開催のお知らせ



 恒例になりました《介助つきコミュニケーション情報交換会》を下記のとおり開催いたします。毎回、参加されている方はもちろん、初めての方もお気軽にご参加ください。

日   時  2019年7月20日(土) 13:00~16:00
場   所  二松学舎大学 1号館13階 ラウンジ
(地下鉄半蔵門線・東西線・都営新宿線九段下駅下車)
内   容  ・介助つきコミュニケーションの紹介や体験
       ・介助つきコミュニケーションを実施している方同士の情報交換
       ・当事者同士の意見交換
                             他

お申し込み  参加を希望される方は、下記のメールアドレスにお名前・ご住所・ご所属を添えてお申し込みください。なお、参加者の概数を把握するために7/13までにお申込みいただければ幸いです。
会費は無料です。

問い合わせ先  johokokankai@gmail.com   
介助つきコミュニケーション情報交換会・実行委員会
(三好・改田・赤崎・栗山)

2019年6月29日のきんこんの会のお知らせ

 次回のきんこんの会を、下記の通り開催いたします。2019年6月29日に開催いたします。
日時 2019年6月29日土曜日 午後2時から午後5時まで
場所 國學院大學横浜たまプラーザキャンパス410教室
 現在、校舎の改築工事が行われており、通常の正門からは入ることができません。きんこんの会当日も、同じ状況であると思われますので、たいへんご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
 きんこんの会はコミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けています。
 なお、当事者の意思伝達の方法は介助つきコミュニケーションによっていますが、話し合いをより円滑に進めるためには、最速の方法による必要があります。初めてご覧になる方にはわかりにくいかもしれませんので、もしこの方法に関心をお持ちの方は、きんこんの会当日の空き時間や別の日程でご相談に応じたいと思いますので、ご一報ください。連絡先は、
kinkon@hope.zaq.jp 
です。どうぞよろしくお願いいたします。
 なお、基本的に、当事者の語り合いの会なので、いわゆる「見学」はご遠慮いただいていますが、実際に当事者と関わりをお持ちの方は、どうぞ、おこしください。
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ニュージーランド首相の演説と津久井やまゆり園事件

 ニュージーランドのアーダーン首相は、あのおぞましいテロ事件について、次のように語った。「私がかれの名前を口にするのを皆さんが聞くことは決してないだろう。かれはテロリストであり、犯罪者であり、過激主義者だが、私が話す時は名前で呼ばない。皆さんも命を奪った者ではなく、奪われた人々の名前を語ってほしい。あの男は悪名をはせようとしたのかもしれないが、我々ニュージーランド人はかれに何ひとつ与えない。名前さえも。」(CNNニュースサイトより)
 この言葉を発する首相のまなざしに一点の曇りもなく、この言葉が、心の底から発せられたものであることが伝わってきた。
 そして、この言葉を聞いた瞬間に、私の頭をよぎったのは、「津久井やまゆり園」の事件のことだった。
 私たちは、亡くなった人の名前を呼ぶこともできないまま、ただ、ひたすら犯人の名前を連呼した。
 そして、犯人の名前の連呼は、名前にとどまることなく、そのおぞましい考えを垂れ流すことにもつながっている。たとえ、引用符のかっこにくくられているとしても。私たちは、犯人の名前を呼ぶべきではなかったし、まして、その考えを伝えることなど、やすやすとすべきではなかったのだ。
 この日本でも、さすがにテロ行為の否定というコンセンサスは存在する。しかし、津久井やまゆり園の事件で亡くなった人たちの生きる意味や存在の価値、そして、本当は深い思索を宿した人たちであるという真実の姿について、いまだ明らかにされることはない。だから、私たちは、その真実を訴え続けることをやめてはいけないと思う。

廣瀬岳さんのメッセージ その2(優生思想とパラリンピックについて)

 僕がもう一つ考えてきたのは、優生思想というものについてです。優生思想という考えを最初に教えてくれたのは、やはり父でしたから、父の説明で理解した優生思想なのですが、いろいろな考えがある中、僕たちのような障害者は、社会を進歩させないから排除しようという考えと聞いたのですか、僕はその優生思想というのは、とうの昔に根絶されていたかと、勘違いしていたのですが、根絶どころか、社会のあちらこちらにはびこっているのが、わかるようになりました。というか、この考えを優生思想と名付けたんだったということが、わかったということです。
 出生前の診断もその代表格ですが、僕は、もう一つ最近、とても感じるのは、障害者はやはりいない方がいいけれど、かわいそうだから生かしてやるという考えが社会にはまだまだ根深く残っているのがよくわかっていて、その中で津久井やまゆり園の事件がとても大きな影響をもたらしたのだと思っています。いろいろな論調の中にやはり、障害者のほんとうの生きる意味を探ることは、むずかしいというあきらめのような愕然とするような考えが少しずつ耳に届くようになっているからです。施設の職員さんの中には、そんなことは絶対にないと言いきる人がいますが、施設の職員さんでさえ、奥歯に物がはさまったような言い方をする人もいるので、その優生思想がけっこう世の中にはびこっているために、僕たちの存在が、脅かされているのがよくわかりました。優生思想という言葉を使うのがほんとうに最適なのか僕もまだよくわからないのですが、やはりそういう考えが、世の中にはびこっているということに、しっかり、自覚的にならないと、僕たちは、やはり、生きる場を失ってしまうのでははないかと思うのです。
 特に、パラリンピックもなかなかこわいものだと思っているのは、パラリンピックは、優生思想を体現してる部分があって、障害者と健常者という枠組みでは、お互い平等というふうに見えるかもしれませんがやはりすぐれた障害者とすぐれていない障害者というのが、あまりにもあざやかに描き出されるので、僕はパラリンピックの中にも優生思想が含まれていると思っています。案外当事者は、そんな考えは持っていないと思うのですが、パラリンピックを取り上げる社会の視線はまさに優生思想そのものだと思います。二重に、優生思想が、絡むわけで、健常者から見ると、パラリンピックのアスリートは、やはり、かわいそうな人であることは同じで、そこにはある優生思想が、隠れているのですが、今度、障害者の中に、すばらしい人と、そうでない人を区別する優生思想がひそんでいるので、パラリンピックは、二重の優生思想が社会の側から見たらひそんでいることになります。
 パラリンピックの出場者たちに何の悪意もないどころか、そういうことではなく、ひとりの人生をしっかり生きるために懸命に頑張っているのだけなのですが、それを見る社会は、その二重の優生思想を背景にしていると言わざるを得ないように思います。なぜなら、パラリンピックのニュースが、出てくるたびに、僕たちには関係がないという言葉が聞かれることがあるからです。たしかに僕たちには、関係がないけれど、おんなじ障害者であるし、人間なので、そういうふうな視線から素直に頑張っている人と、頑張っているけれど、それに光があてられない人とがいるというふうにならないと、ほんとうにおかしなことになると思っています。きっと来年、 パラリンピックが開催されることによって、また、この問題がまた議論されることになると思うので、僕は今、先取りしてこの問題をぜひ話しておこうと思いました。(筆談による)

廣瀬岳さんのメッセージ その1(津久井やまゆり園のこと)

 久しぶりにお会いした廣瀬岳さんからのメッセージです。前半はパソコンで、後半は筆談で聞き取りました。2回に分けて掲載します。

 地域で生きることは正しいけれど僕は疑問なのは津久井やまゆりの人たちにとって地域とはなんなのかということがとても気になっています。長い間に津久井という場所が地域になった人もいるのではないでしょうか。悩みながらもともに暮らした仲間との生活さえとりあげられてしまったら地域の生活がいくら保障されてもほんとうの地域とは言えないと思うのです。だから津久井でのほんとうの地域生活を再建してほしいです。(パソコンによる)
プロフィール

柴田保之

Author:柴田保之
所属:國學院大學人間開発学部初等教育学科
重度重複障害児の教育、知的障害者の社会教育、介助つきコミュニケーションについて実践的に研究を進めています。

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