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津久井やまゆり園事件の裁判の開始に際して思うこと

 きんこんの会会長の大野剛資さんから、いただいたメッセージを掲載させていただきます。

 いよいよ植松被告の裁判が始まりました。
 あまり難しいことは解りませんが、僕なりに裁判について考えることがあります。
 被害者の家族や有識者と言われる人やマスコミでの扱いや論議などに加えての障害当事者としての僕なりの考え方です。
 2点あります。
 一つは、裁判で亡くなった方や怪我をした方を匿名で呼ぶことに関してです。
 一人だけお母様が、「娘は、甲でも乙でもなく、美帆です」と申し出た方がいました。僕は、美帆さんのお母様は正しいと思うし、「物」ではなく「人間」です。当然人格があります。亡くなってまで人として認められないことは、悲しいし、悔しいです。
 それぞれの犠牲者が一生懸命生きてきた「証」を踏みにじる行為だと僕は思います。遺族の意向がありますが、「障害者を身内に持ったことを隠したい」と言う意識が何処かにあって、氏名を公表しないのかなとも思います。
 2つ目は「どうしたら、障害者差別をなくすことができるのか?
 植松被告のように考える人も世間にはいるかもしれないし、事件をきっかけにそのような考えを持つ人が現れて、同じような事が起きないとも限らない」という事に関しては、もっともなことです「話のできない人は生産性もなく、生きている価値が無い」という植松被告のような考えは、間違っているということに関しての議論はあり、批判は当然です。
 でも、そこでもう一歩前に進めて「話ができない、発語ができない人達は、自分の意思や考えを持っていないかと言うとそうではなく、きちんとした自分なりの歳相応の考えを持ち、生きてきたその人なりの歴史がある」との論調にならないのが、とても残念です。
 「きんこんの会」で長年取り組んできて、多くの言葉を持たない人達が、周りとコミュニケーションを取れるようになったこと、また「きんこんの会」から、全国でこの取り組みが広がっていったことをもっと知ってもらいたいです。裁判が始まったことをきっかけにあらゆる所で、一歩進んだ議論と実践がされることを望みます。
                                       大野 剛資

ニュージーランド首相の演説と津久井やまゆり園事件

 ニュージーランドのアーダーン首相は、あのおぞましいテロ事件について、次のように語った。「私がかれの名前を口にするのを皆さんが聞くことは決してないだろう。かれはテロリストであり、犯罪者であり、過激主義者だが、私が話す時は名前で呼ばない。皆さんも命を奪った者ではなく、奪われた人々の名前を語ってほしい。あの男は悪名をはせようとしたのかもしれないが、我々ニュージーランド人はかれに何ひとつ与えない。名前さえも。」(CNNニュースサイトより)
 この言葉を発する首相のまなざしに一点の曇りもなく、この言葉が、心の底から発せられたものであることが伝わってきた。
 そして、この言葉を聞いた瞬間に、私の頭をよぎったのは、「津久井やまゆり園」の事件のことだった。
 私たちは、亡くなった人の名前を呼ぶこともできないまま、ただ、ひたすら犯人の名前を連呼した。
 そして、犯人の名前の連呼は、名前にとどまることなく、そのおぞましい考えを垂れ流すことにもつながっている。たとえ、引用符のかっこにくくられているとしても。私たちは、犯人の名前を呼ぶべきではなかったし、まして、その考えを伝えることなど、やすやすとすべきではなかったのだ。
 この日本でも、さすがにテロ行為の否定というコンセンサスは存在する。しかし、津久井やまゆり園の事件で亡くなった人たちの生きる意味や存在の価値、そして、本当は深い思索を宿した人たちであるという真実の姿について、いまだ明らかにされることはない。だから、私たちは、その真実を訴え続けることをやめてはいけないと思う。

廣瀬岳さんのメッセージ その1(津久井やまゆり園のこと)

 久しぶりにお会いした廣瀬岳さんからのメッセージです。前半はパソコンで、後半は筆談で聞き取りました。2回に分けて掲載します。

 地域で生きることは正しいけれど僕は疑問なのは津久井やまゆりの人たちにとって地域とはなんなのかということがとても気になっています。長い間に津久井という場所が地域になった人もいるのではないでしょうか。悩みながらもともに暮らした仲間との生活さえとりあげられてしまったら地域の生活がいくら保障されてもほんとうの地域とは言えないと思うのです。だから津久井でのほんとうの地域生活を再建してほしいです。(パソコンによる)

津久井やまゆり園の事件はまだ終わっていない  大野剛資さんの言葉

 年始めの「あの会」で、きんこんの会の会長である大野さんが、以下のような言葉を述べた。
 もう少し取り組みが進展したら、この場でまた報告できると思うが、今、津久井やまゆり園の事件をめぐって、正念場とも言えるような事態に直面している。そのような状況をふまえての発言である。


  津久井やまゆり園の事件はまだ終わっていない
                                 大野剛資

  事件から2年半の月日が流れました。平成最悪の事件と言われましたが、平成の終了とともに過去の事件として忘れ去られることが僕はとても怖いです。事件が終わっていないのは、犯人の動機がまだ明らかにされていないからではなく、亡くなった人たちの本当の姿が明らかにされていないからです。津久井やまゆり園の事件が本当に終わるというのは、被害にあった19人の仲間たちの名誉が回復されて、本当の安らぎが魂にもたらされることです。平成は終わるでしょうが、私たちは次の新しい時代においてもこの事件の真実を問い続けていきたいと思います。

甲斐田晃弘さんの詩

 新年に開かれた「あの会」で、甲斐田さんが、2編の詩を綴った。1編目は、やまゆりの事件に関するもの。2つ目は、体調をこじらせ、自分の体に起こった様々な変化をもとにしたものだ。
 
やまゆりのがくぜんとさせられた事件から
もうずいぶんと時が流れたけれど
亡くなった魂はあいかわらず
本当の安らぎは得られていないままだ
本当の安らぎは
亡くなった人たちの真実の姿が
明らかにされることによってしかもたらされない
やまゆりの美しい花にはあれ以来
深い悲しみが宿ったままだ
僕はあれ以来
静かに花をめでることができなくなった
花の中から真実の姿を知ってほしいという声が
聞こえ続けるのだ
だから日々の何でもない散歩の時にも
僕には悲しい叫び声が聞こえ続けている
だから一日も早く
真実の姿が明らかにされることを通して
もう一度平安に満ちた花の姿を取り戻してほしいと
密かに祈る
 
  やせこけた体
こんなにもがりがりの体になって
いったい僕には何が残るのだろうか
もともと歩くこともできなかった僕だから
特に何かを失ったわけでもないし
もともと話すこともできなかった僕だから
特別に何かを失ったわけでもない
それでも僕は
もっと体にたくさんの肉がついていた時を
なつかしんでいる
僕の体は
つねにやせているとは言われないくらいの
ほどよい肉をたくわえていたから
がんばってどこへでもいくことができた
今がりがりにやせた体を鏡で見ながら
こうして人生は
まるで下り坂を下るように過ぎていくのだろうかと
嘆きとともに見つめることもあったけど
一つだけ気づいたことがある
私のだけは決して何一つ失うことも
1グラムもやせることもなく
たくさんの人の思いを受けながら
豊かに豊かに成長をとげているのである
そのことに気づけて
今やせこけた頬に
一筋の希望を感じている
生きるということは
こういうことなんだと
プロフィール

柴田保之

Author:柴田保之
所属:國學院大學人間開発学部初等教育学科
重度重複障害児の教育、知的障害者の社会教育、介助つきコミュニケーションについて実践的に研究を進めています。

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