田所弘二さんの命をめぐる主張 

本を紹介した田所弘二さんもまた、重症心身障害あるいは重度重複障害と呼ばれる方ですが、本の中に、命をめぐる次のような主張があります。今度の事件についての意見はまだ聞けておりませんが、この彼の主張は、本の紹介の意味も含めて、掲載させていただきます。

 僕たちの仲間について、去年の夏からとても悲しい話が横行するようになりました。それは、子どもが生まれる時に、そのお母さんの血液を調べればいくつかの障害がわかるという検査のことでした。私たちの仲間の中のある障害の人たちにとっては、おまえたちはもう生まれてくるなというに等しいものでした。だから、僕はとても深く傷つきました。僕の障害は、まだ、きっと検査ではわからないものなのですが、もし僕の障害が検査でわかるならば、僕もおまえはもう生まれてくるなと言われていることになるのだなと思いました。これまで社会の中でそのことがこれほどまでに何の抵抗もなく語られたことはなかったように思いますから、せっかく世の中があの悲しい東日本大震災で人の心を大切にする方向に動き始めようとしていた矢先にこんな話になったことがとても悲しかったです。そして何よりも私たちの仲間が生まれる前にすでに殺されてしまうことを僕はどうしても認めるわけにはいきません。
 僕は両親に障害があるので、世の中の人よりもそのことについていろいろ考えてきたところがあって、僕は障害のある人が障害のある子どもを生むというのは新しい世の中の家族のかたちだと思ってこれまで生きてきました。障害者が健常児を生むのは、もちろんうれしいことですが、障害者が障害者を生むことはもっとうれしいことなのです。なぜなら、障害がある者同士が本当の意味での家族を作ることができるからです。障害者の立場にならないとわからないことですが、障害のある人が障害のある子どもを育てるような世の中が到来すれば、本当に人が人を助け合うことについて、もっと深い考えに到達することができるのではないでしょうか。だから、僕は障害がある子どもはこの世の中にいない方がいいという考えに基づいてなされている今のあの検査には、まったく同意することができません。だから、僕は、一刻も早くあの検査をやめてもらいたいし、今この時もすでに行われようとしている子どもたちの殺人を何とかして止めなければいけないと思っています。
僕たちの思いをきちんと伝えてくれるメディアもほとんどなく、例えば、子どもがこれから生まれるお母さんを映しても子どものことではなく、お母さんの悩みしか語っていなくて、本当に生まれてくる子どものことを聞こうとする人は誰もいませんでした。僕たちにマイクを向けてくれれば、僕たちが生きてどれだけよかったかということを堂々と話すことができるのに、誰も、僕たちのような障害のある者に直接マイクを向けることはしませんでしたね。
でも、僕たちは、本当に生まれてよかったと思っているので、そのことを言わなくてはこの話をきちんと考えることすらできないのではないでしょうか。みんなどこか僕たちは生まれて来ない方がよかったと思っているし、僕たちもどうせ自分たちはこのような体で生まれてきたのだから、不幸だと思っているとしか考えてないのではないでしょうか。そんなことはまったくのまちがいで、僕たちは生まれてきてよかったし、こうして生まれてきて、こんなふうにして、堂々と社会の前で意見を言える存在なのだから、僕たちは、もっと僕たちの存在を社会に訴えるべきだと思っています。
 僕はだから、出生前診断には大反対です。もちろん、障害を持つことで親は自分の時間を奪われていくので、絶対に見たくないという親の気持ちを強制的に生めと言うわけにはいかないけれど、本当に僕たちが生まれてきてよかったと思っているのだから、そのことをふまえた議論をもう一度やり直してもらいたいと思っているし、今生きている僕たちがどんなに苦しんでいるかも考えに入れた上で議論されるべきだと思っています。

浦島美津恵さん、田所弘二さんの本

adachi

浦島美津恵さんの句歌集と、田所弘二さんの随想集ができました。木曜日にできてきたばかりのものです。

 浦島さんは、この句歌集の準備中の今年3月に急逝されました。
  
  苦しみは理想を繋ぐ糸なれば絹のごとくに苦を愛すなり
  己が意を伝えきれずに過ぎし日々
  出られぬ無わが魂を深めたり
  次の生(しょう)またこの体にて生きたしと

 いわゆる重症心身障害と呼ばれる状況で、ほとんど体を動かすこともできない中、言葉を発することなく28年間を生きてきて、31歳で亡くなるまでの3年間の間に200余りの短歌と俳句を残しました。
 上に紹介したのは、自分の障害にふれたものです。
 今回の相模原の事件で亡くなられた方々は、実は、こうした方々であったということが、まだ、あまりにも知られていません。まっさきにこのことをつきつけたいのは、蛮行を働いた若者に対してですが、また、世の中のすべての人にも訴えたいことです。失われた命がいったいどのような人のいのちだったのか。もっともっと深く考えていただきたいと思っています。
 なお、ともに頒価1000円(送料込み)でお頒けすることができます。ご希望の方は、住所、氏名等を明記の上、以下のアドレスにご一報ください。 

kinkon@hope.zaq.jp

津久井やまゆり園の事件に寄せて

きんこんの会の中心メンバーの大野剛資さんより、以下の文章をメールでいただきました。そのまま掲載させていただきます。

津久井やまゆり園の事件に寄せて
大野 剛資
 とてもひどい事が起きて、僕は悲しいです。
 なぜ、障がいの重い人達が無残にも傷つけられなければならないのでしょうか?
 痛かったでしょうし、どんなに辛く怖い思いをしたかと思うと犯人を許せません。
 僕は「きんこんの会」や4月30日の「介助つきコミュニケーション研究会」等を通じてかなり多くの人に僕達の考え方や思いが拡がってきたと、内心喜んでいました。7月23日の「介助つきコミュニケーション情報交換会」でも参加者と僕達が心を通わせる交流が出来、僕は本当に嬉しく思っていました。そんな時に津久井やまゆり園で事件が起きてしまいました。
 世間の人達に向かっては、僕達障がい者も年相応の考え方や意見を持っている事を伝えたいです。
 当然、人権も認めてもらいたいし、社会の一員として認めてもらいたいです。
 僕達は、ただ生きているだけではないのです。かけがえのない命を生きているのです。
 今回の悲しい事件を乗り越えて、僕達は今までの活動を続けていく事が犠牲になった人達への鎮魂になると信じています。
(2016年7月29日)





相模原の施設の事件をめぐって

 津久井やまゆり園の残酷な事件が報道された日、曽我晴信さんが研究室を訪れた。そしてパソコンで以下の文章を綴った。

 人生を人を殺傷することに費やす人がいるということが僕には理解できないとはいえ人が憎しみのために人を殺すということはそれでも理解できなくはありません。しかし理想や宗教のために人を殺傷するというのが現在のテロリズムなのでこれは徹底的に考えなくてはいけないことだと思いました。
 そういうことを考えている矢先に障害者施設で事件が起きてしまいました。まだ詳しいことは明らかにはなってはいませんがつらいのは当然ですが理想によって障害者が抹消されたことを僕は重大に考えています。なぜなら僕たちが世の中に存在する価値があるかどうかが問われているからです。
 わずかな希望はこのニュースを語る人も聞く人も失われた命はみな同じだと考えていることはわかったからです。人間は生まれる前の命には違いをつけてしまったけれど生まれたあとの命にはまだ違いをつけていないことがわかったからです。
 わずかな希望ですがもう一度生まれる前の命もまた同じ命だということがわかるきっかけになるかもしれません。

 
 全て明らかになるのは、これからだが、最低限のことを述べておきたい。
 犯人の青年個人だけを見れば、そこに見えてくるのは、きわめて個人的な挫折や抑圧などだろう。しかし、その鬱屈した感情に言葉を与えたのは、社会の無意識、あるいは社会の暗部に存在する思想なのではないか。彼が引き寄せたというのがいいのか彼が引き寄せられたといったらよいのかわからないが、この社会の無意識や暗部に存在する「思想」を明るみに引きずりだして、しっかりと向かい合わなければならない。
 石原慎太郎が重心の施設で「この人たちに人格はあるのか」と問うた時、その言葉をたたいたことはまちがいではないが、この意見に対して、「こういう意味で人格がある」という考えがしっかりと語られないままになってしまい、結果的に石原の問いはそのまま社会の暗部に消えないまま残り続けてしまった。
 この悲惨な事件が、さらに悲惨なものにならないためにも、亡くなられた方々の真の生きる意味がきちんと語り出されていかなければならない。

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