相模原の事件をめぐって 8月29日

 事件をめぐる、車いすの中学生の女の子の言葉です。

私がこの夏とても心を痛めたことに津久井やまゆり園の事件のことがあります。津久井やまゆり園の事件は、どうしてなのかわからないけれど残酷な事件になったけれど、私が最後まで疑問のままなのは、どうして亡くなった人の人生をもっと一生懸命考えようとしないのかということです。津久井やまゆり園の入所者たちは、重度の知的障害があったと言われていますが、ほんとうはみんな言葉を豊かに持っていたのではないでしょうか。それなのに何もわからない人が殺されたとばかり報道されていて、これでは正しい理解は得られないし、亡くなった仲間の命に対して失礼だと思います。どこの誰かもわからぬまま亡くなっていったこともつらいけれど、家族の苦しみを考えらそれも仕方がないと私は思いますがどんな人だったのかを正しく理解されないで、亡くなったことこそが、もっとも悲しいことだと思います。

行く夏のやまゆり悲し涙果つ

相模原の事件をめぐって 9月24日

 9月24日、横浜市西区の「生活創造空間にし」という施設の研修会で、町田市の本人活動とびたつ会のメンバーが招かれ、歌とスピーチの発表を行った。22日の木曜日のとびたつ会の打ち合わせの際、スピーチの苦手なHさんは、当日発表する以下のような文章を事前に用意しておいたが、当日、この文章を、出生前診断をめぐってとびたつ会と青年学級が作った3つのいのちの歌と併せて発表することにした。実際に歌ってみると、歌詞が、まるでこの事件のことを言っているように感じられ、私は、途中で声がつまって歌えなくなってしまった。出生前診断と津久井やまゆり園の事件の共通性を改めて痛感させられた。
 
Hさんの言葉
許せないできごとが起こりました。乱暴なことをしただけでも許せなかったけれど容疑者が障害者の存在意義まで否定したことが許せませんでした。でも僕たちは決して考えのない人間ではありません。だから僕は僕たちの姿を正しく認識してほしいと思います。考えている人間だということが理解されなければ亡くなった仲間たちが浮かばれません。だから僕たちは、一生懸命叫びたいです。人権問題だけでなく僕たちに対する正しい理解が歴史に残らなければこの事件の本質はわからないまま闇にほおむられてしまいます。だから、どうか僕たちのようにうまく話せない人間の言葉に耳を傾けてください。

「みんなのいのち」
小さい涙が すっとほほを静かに流れた
みんなをなきものにするという 冷たい言葉を聞いて
われわれが 生きてゆける場所は もうどこにもなくなりそうだ
もうじき 夜明けが来ると思っていたけれど
どこにも その気配さえ  見られなくなった
人間としての みんなの 尊厳を ごんごんと 湧きいづる清水のように
訴えていかなくてはならない 未来に向かって
2 どんな命も 平等だ そんな言葉がなつかしい
震災の時のやさしさを もう みんな忘れてしまったの
小さい時ときから僕は 差別に口をふさいできたけれど
もう黙ってはいられない 僕たちの声を届けたい
おんなじ空気をすって おんなじ水をのみ おなじ血が流れている おんなじ人間だ
人間という言葉が これ以上 こわされないように

「いのちのことば」
1 僕らは 怒りを感じてる 奪われるべき命など どこにもない
  生きることこそ すばらしい 生まれなければ 感じないこと
  生きている 僕らは 知っている 僕らの心の声を 聞いてほしい
  生きていて よかったと 生まれてきて よかったと  
  この声で この歌で 伝えたい 尊いいのち
2 僕らは 愛を感じてる 抱きしめる 母の温もり
手をひく父の 大きな手 あなたが生んでくれた このいのち
大切に 僕らは 暮らしてる すべてのいのちの輝きを 感じてほしい
生きていて よかったと 生まれてきて よかったと
この声で この歌で 伝えたい 尊いいのち

「つながるいのち」
いのち いのち いのち 輝けいのち 願いと理想の未来へ つながれ いのち
1 生まれたいのちはみんな 大切だからみんなで 手と手をつないで 支えあっていこう
  つながる輪から パワーがあふれ 未来へと いのちをつないでいくでしょう
いのち いのち いのち 輝け いのち 願いと理想のみらいへ つながれ いのち
2 泣いている人がいたら となりにすわり たのしいことがあったら いっしょにわらおう
  えがおは こころのえいようだから  いっしょにわらってげんきになりましょう
いのち いのち いのち かがやけ いのち ねがいとりそうのみらいへ つながれ いのち

相模原の事件をめぐって 9月17日 その6

 最後に、この日の提案者、Kさんに戻りました。

 ありがとうございます。今日はこの話をしようとはりきってきてよかったです。もちろん気持ちは全然晴れていませんが、僕たちが力強い気持ちで話さないと誰もこのことはわからないと思ってきたのですが、知的障害者の誇りが、ばかにした人を見つめ直すことだというのは、僕たちにしかわからないことなので、ほんとうに素晴らしい考えを聞かせてもらったと思うし、僕もそこにいちばん感激して声を出しましたが、やっぱり僕たちの目が澄んでいるとみんながよく言ってくれたのは、実は、そういうばかにする人のまなざしに対して、こちらはこちらで澄んだまなざしを投げ返すことをがんばってきたからです。だから僕たちは、まっすぐものを見ることを、反面教師のようして学んできたので、今回も僕はあの犯人をしっかり前から見つめ直したくてしかたありませんでした。みんなは一生懸命見つめ直したのだろうけれど、彼には届かなかったのでしょうけれども、僕はみんなでもう一回しっかりと見つめ直して、彼がまちがっていたことをしっかりと理解させてあげないと、何だか、あの人はおかしいやつだから僕らを殺したけれど、考え方自体はあまりまちがっていないと思っている職員はいるので、そういう職員も含めて、考えこそがまちがいで、殺したことなどある意味では、どうでもいいとは言えないけれど、重要なのは、大勢の人がそういう考えを持っていることなので、そのことに対する反論をきちんとしようと思います。先生もさすがに言葉を失いかけた先ほどの台詞こそが僕たちにしか言えない台詞なので、そこだけでもいいからきちんと記録としてとどめておいてほしいところです。

相模原の事件をめぐって 9月17日 その5

 次の話をしたのは、40代のSさんです。今回初めて参加した方でした。

 私も、この夏中実は無力感しか考えられなかったのですが、こんな風にきちんと意見を言う人がいるのだと目の前で見てとても勇気が湧いてきたので、実はどこかで考えていたにちがいないから今浮かんできているのですが、今浮かんでいる考えをきちんと言いたいと思います。私は今はこれほどまでに医療的ケアが必要な体になりましたが、もとはもう少し体も動いていたわけですから、よく人から重度の知的障害と言われてきました。その辺は少しだけ、重症心身障害と小さい頃から言われてきた人とは、違う側面を持っていて、その体験の中にあるのは、実はさっきどこかで話されていたように、私だけはいつも天使という言い方とは別の言い方をされていて、天真爛漫とかは言われるけれど、結局は何もわからないでにやにやにやにやしているという感じの蔑まれをしてきたということです。仲間だからいいと思いますが、やっぱり、K君と私の間に共通点があるとすると、そういう風に人から見られるということですが、それは決して悲しいことではなくて、そういう風に見ている人たちのことをもう一度純粋な目で見返すことができるということなので、私たちはいつも間違ったことはしていないのだから、しっかりと前を向こうと思い続けて来ましたが、今回犠牲になった人たちはたぶんそういう人たちなのだということがわかっていました。別に重心と言われる人たちに失礼はないと思うのでいいと思うのですが、重心と言われる人たちがどちらかと言うと本当に何もできないほうが強調されるのに対して、私たちは何もわからずににこにこしているという言われ方をしていたのですが、その人たちが殺された時の報道があまりにも残酷で、一度だけだったですが、確か一度だけだと思いますが、何もわからないままに殺されたという言葉を聞いた瞬間に、それは違うと思いました。それまでずっといろいろなことを考えて生きてきたし、その瞬間私はちょっと怖いことなので、母さんには、耳をふさいでおいてもらいたいようなことですが、私は首に刃物を当てられた瞬間に、その人はどうぞと言ったと思います。だってそういうやいばのようなまなざしを何度も向けられては、私たちは何度もまっすぐ前を見返してきたので、もちろんとても怖かったとは思いますが、決して目をそらさなかったのではないかということが私が必死で思ったことでした。もちろん現実は怖くて怖くてしかたなかったことがほとんどだったと思いますが、心の中に私を軽蔑する人を絶対にまっすぐ見つめ直すという心があったはずなので、そのことを誰も言わないから私は一人で悔しがっていたのですが、私はそのことを今言葉にしたので、またどこかで紹介してもらえればと思いますが、そんなに怖い話なのですね、やはり。私はやはりそういう強い思いをみんな持っていただろうから、例えば、あの犯人を許すか許さないかといった時に、まっさきにあの亡くなった人たちは、いいから許してあげなさいと言うと思いました。なぜかと言うと、私たちは何度も何度も許せないような目に合わされてきたのですが、それを一つ一つ結局は許してきて、もちろん許すことによって何が得られれたかというと、私たちの心が醜くならずにすんだというでしたから。本当に人は人を憎んでしまうと自分が情けなくなるということをよく知って生きてきたので、今回のことは、亡くなってしまったから許しようもないことなのですが、きっと私なら許すという思いだけは捨てないと思います。それを捨てないということが私たちのもっとも大切な私たちの誇りのようなものですから、今回の事件でもしあの人たちに語る時間があったなら、私たちは許しますから、どうかみなさん死刑にだけはしないでくださいと言うのではないかと思ってきました。さすがにここまで言えるのは同じ立場の人間だけですが、そういうことをきっと誰も知ることもなく、この事件は闇から闇に葬り去られるのだと思っていたので、言うことができてよかったですが、この辺の話は、わかる人にしかわからないと思いますが、母がちゃんとうなずいてくれるのが私にとっては、高らかに誇りたいことになります。やはり、こういう思いで生きてきたから、私は誇りを少しもなくさずにきたわけですから、そういうことをしっかりと理解できる人には伝えたいと思いましたが、こんな話までしているとは夢にも思いませんでしたから、本当に驚いてしまいましたが、みなさん同じように考えて生きているわけですから、言葉を話せるのだったら当然語るのが当たり前なわけですよね。私は、今回の事件のことは悲しすぎて言葉にできないと思ってきましたが、やはり話せるとなると、きっちりと話さないと、私たちの、いつも相手をまっすぐ見つめ直してきた生き方に反する気がしたので、しっかりと言わせていただきましたが、本当に不思議な不思議な経験です。まさか生まれて初めてすらすら話す話がこんな話になろうとは思いもよらなかったので、ただただ驚いているところです。

相模原の事件をめぐって 9月17日 その4

次に発言したのは、重症心障害と言われるTさんです。

 私はK君がさっそくその話をしたので胸がうたれました。なぜなら、私はやはり今回の事件でいちばんつらかったのは、せっかく私たちは話せるようになったのに、まだ世の中の理解では、私たちは何もわからない人間とされてしまうので、なくなった人は永遠にもう、言葉がある人間としては、認められない気がしたからですが、K君の言うことを聞いていて、私たちが主張すれば名誉が回復できるのかもしれないと思いましたから、絶望だけしていてはいけないと思いました。でもまだ届かないかもしれないのですが、ここで黙らなければ、いつかそのことが振り返られる気もするので、5年経っても10年経っても言い続ければ、その人たちの名誉をいつか回復できるのかもしれないと思いました。でも、K君も言ったように、そんな難しいことの前に母さんたちは、すてきな思い出をテレビカメラの前で語るべきだったと思います。顔は出さなくていいし、名前も出さなくていいのですが、やはり同じ人間として、豊かに生きてきた体験をお母さんならではの言葉で語ってほしかったと思いました。確かにこういうやり方があれば、言葉があったことを証明できますが、母さんたちにとっては、言葉あるないは関係なく、一人の人間としてとても素敵な思い出や経験をしてきたわけだから、それをしっかり言わないと犯人どころではなくて、世の中の人がまったく理解してくれない気がして、それがつらかったけれど、どうしていいかわからなかった時に、K君の言葉がやっぱりとても説得力があって、私はじいんと来ました。だから、世の中の人は、名前を出す出さないの議論よりも、思い出をきちんと語るべきだという方向で、そのことを実現してほしいです。私はきっとお母さんも名前を出さないだろうなと思いました。なぜなら、どうせわかってもらえないことがわかっているから、出してもいいけれど、出したってわからないという思いがそういう時は、強くなる気がしたので、私は、出すべきか出さざるべきかと問われてしまったら、家族は出さないでほしいというに違いないと思いました。ただ、世の中の人は当然出すべきだという考えをもとにして考えてほしかったと思います。だから警察の人が、そのまま出してしまえばよかったのにと今は思っています。そうすれば、家族はそれをきちんと受け止めて、きちんと話したにちがいないけれど、聞かれてしまったら、私も私の母さんも出さなくていいと言いそうな気がします。何かしても理解されなかった時のあのどうしようもない空しさを知っているから、聞かれたらちょっと出したいとは言えなかったのではないでしょうか。そのことをK君の言葉から一生懸命考えさせられてとても不思議な感じでしたが、これが対話というものなのだなあと思いました。私がこの一ヶ月間ほとんど無力感のままだったのに対して、何かきちんと言わなければという言葉は、さすがだなあと思いましたし、そのおかげで私も無力感を少しだけ越えることができたなあと思います。だから、この言葉を私の意見として、今日は伝えて申し訳ありませんが失礼することにいたします。いい意見が言えてよかったですが、別に家でまとめて来たわけではなくて、K君のおかげで考えられたので、本当に来てよかったです。家であの話を聞くともう悲しくてただ無力感だけでしたが、ちゃんと考えなくてはと思うことができてよかったです。

相模原の事件をめぐって 9月17日 その3

 Kさんの意見を受けて、いわゆる重症心障害と言われるYさんが発言しました。

 さっきの事件については僕も言いたいことがいっぱいあったけれど、今日はこれで失礼しますが、今の意見がとても胸に響いたのは、やっぱり僕以上に立場が近いからだなあと思いました。僕たちもほとんど同じですが、やっぱり僕が行く施設とは違うらしいことはわかったやまゆり園という施設の名前でしたか、あそこに入る人は確か医療的ケアはない人で、けっこう歩けている人だと思ったのですが、ちょうど今お会いした先輩は、そういう立場に近いからもっともっと共感して意見が言えてるのだなあと思いましたが、意見はほんとうに似ていますが、何だか今の語り方の方が数倍胸に響いてきたのですが、思い出話をした方がいいというところもとても感銘を受けました。

 次の発言したのは、中途障害のRさんです。

 僕はやっぱり、僕じゃない誰かが話すべきだと思っていたのですが、重い障害の人の間の違いはあまり気づかなかったのですが、確かに重心の人と重度知的障害者の間の違いがちょっとだけ気になったのですが、重心の人がわからないと言われる時の語られ方の感じと、知的障害者の人がわからないと言われる時の感じの中に、僕ははっきり言っていいと思うけれど、重度の知的障害者の人に対する言い方の方が、より軽蔑がこもっているような気がしたので、そこのところをたぶん今言おうとしているのだと思いますが、重心の人のわからなさは、わからないとは言いつつも天使のように扱われるのに対して、重度の知的障害者でかつ行動の面で障害のある人は、さっき帰っていったH君たちは、天使などとはぜったいに言われなくて、何か、それこそ厄介者にように言われやすいので、そういう視点で今言っている部分があるのかなと思っていましたので、やっぱりいちばん立場が近い人がしっかり語るべきだと思ったのと、僕は中途障害なのでやはりその辺のしゃべり方は、筋金入りではないので、ここはやっぱり、本来話すべき人が話せばいいと思っていたのですが、まさにその話が出てよかったですが、H君は何か書いていったのですね。だから、僕は、今回の事件の話はきっと誰かが今日するだろうと思っていたのですが、まさに話すべき人が今話しているという気がしてなりませんので、ぜひみんなにもう一回聞こえるように話してくれればいいし、2回話せば2回目はまた話は変わるだろうから、ぜひよろしくお願いします。

相模原の事件をめぐって 9月17日 その2

 その1で紹介したHさんがパソコンで気持ちを綴って帰られた後、5人のメンバーでこの事件について語り合うことになりました。20代で話すことはむずかしけれど、歩行は可能な男性のKさん、中途障害で体を自由に動かすことが困難な20代の男性Rさん、生まれつき寝たきりの障害のある20代の男性Kさん、同じく生まれつき寝たきりの30代女性Tさん、現在は寝たきりの状態ですが、もう少し以前は動けていたという40代の女性Sさんです。指筆談による語り合いなので、それぞれの意見を分けて紹介したいと思います。
 まず、最初に口火を切ったのは、Kさんです。

 僕が今回の事件でいちばん悔しかったことは相変わらず僕たちはなんにもわかっていないと言われることですが、僕が言われるのならいいですが、亡くなった人が言われるのが耐えられなくて、何とか誰か亡くなった人たちの名前が出るかどうかよりもあの人たちがほんとうはどういう理解をしながら生きていた人なのかをきちんと理解してほしいと思っていますが、なかなかむずかしいようですが、僕はそれをしないとこの事件のいちばん大事な事柄がわからなくなると思っています。だから、きちんと僕は今日言いたいと思ったのは、僕たちにもちゃんと言葉があるように、あの施設で亡くなった仲間たちにもちゃんと言葉があったんだよということです。その上でもう一度あの人たちの死を、名前は隠してもいいけれど、例えば写真だけは出したり、写真もいやならそれでもいいけれど、すてきな思い出をもっと語ってほしいと思いました。すてきな思い出は必ずみんなあったはずなので、そういうものを語りつつ、実はほんとうはすべてを理解していたというふうに理解してあげないと、やはりあの人たちの魂は永遠に安らぎを覚えることがないような気がしています。だから僕はとてもこの一ヶ月あまり、つらい日々を過ごしてきました。この手が落ち着かなかったのもそういう理由によります。だから今日はそのことを言いたくて来ました。

相模原の事件をめぐって 9月17日 その1

 都内である自主グループの集まりがあり、参加者は相模原の事件について、語りました。最初のHさんは、自分の思いをパソコンで表現しています。Hさんは、都内の通所施設に通う20代の男性ですが、歩行が可能ですが、自由に話をすることはできません。その意味では、重度の知的障害のある方と言われています。

 だんだんみんな忘れ始めてきたけれど私たちにとってはとても重大な出来事がこのまま忘れられては困るのできちんと書いておきたいと思います。わざわざ私たちを同じ人間ではないと言い張って仲間を殺した容疑者をなぜ誰も説得できないのでしょうか。私たちにはきちんとした思考もあるし、当然生きる価値もあるのは当然なのに、どうしてもずっとニュースを聞いていると私たちには思考がないかのように報道されているようで、それがとてもつらいです。みんな僕と同じように、うまく話せなかったり、うまく行動できないだけなのに、そのことを何も語られないのでとても辛いですが、亡くなった人が一番悔しいのではないでしょうか。わずかな救いは小さい会でもこうしてそのことを話せる人がいると言うことです。世の中に伝えたいけれどまだまだですね。私たちは決して何もわからない障害者なんかではありません。ぜひこのことを伝えたいですが何とかなりませんか。よい方法があったらなあとつくづく思います。

相模原の事件をめぐって 9月13日

 ある通所施設でお会いしているまちこさんは、お会いするなり、時折、涙をぬぐいながら、このような文章と詩を書きました。

  長い間泣き続けていましたが、ようやく話せてうれしいですが、私はまだまだ悲しみが癒えません。津久井やまゆり園の事件以降、私はまったく夜に寝られなくなりました。どうしても仲間のことが悲しくて、もう一度時間を逆戻ししたくなりましたが、どうしようもありません。つい昔のことを思い出すとまったくそんな不安はどこにもなかったのに、呼んでももう返事は返ってこないのだと思うと、夢でいいから亡くなった人たちにはもう一度戻ってきてほしいと思います。
 ずっとそんなことを考えていたらとても悲しくなってきたのは、津久井やまゆり園の人たちにもみんな言葉があったはずだと気がついたからです。理解のできない人を殺したということだったけれど、ほんとうはみんなすべてを理解していたのではないでしょうか。だからずっと悩み続けています。なぜそのことについて誰も新聞やテレビで語らないのでしょうか。私はとてもつらいです。犠牲者の魂が泣いているのではないでしょうか。もっと亡くなった人たちにも言葉があったのではないかと議論をしてほしいです。わざわざ何もわからないうちになどという説明を聞くと、何だか私たちにもその言葉は向けられている気がしてつらいです。だからみんなの魂にほんとうの安らぎを取り戻すためには、ほんとうの姿を語る必要があると思います。みんなでよい安らぎを犠牲者のみなさんにもたらすためには、一人一人のかけがえのない人生を追求する必要があると思います。だから私は詩を作ってきました。

やまゆりの花がいっぱい咲き乱れる山奥の森で
ランプのあかりが消えた
まっくらな森の中で私はひとり迷い
暗闇より聞こえてくるやまゆりの悲しい声を聞いた
みんな私たちにはじっと耳をすませば
涙ながらに抗議する声が聞こえた
私たちには言葉があるのに
誰もそのことに気づくことなく
私たちはもう闇の中に消えていかなければならない
だからどうか私たちの叫び声に耳をすませてほしい
私たちを暗闇にそのまま置き去りにしないでほしい

 こんな詩ですがどうかどこかに発表させてください。悩みは尽きないけれど詩を書けてほっとしました。

第2回 介助付きコミュニケーション情報交換会 開催のお知らせ(再掲)

第2回 介助付きコミュニケーション情報交換会 開催のお知らせ

 去る7/23に二松学舎大学で開催された「介助付きコミュニケーション情報交換会」はご家族はもちろん、支援者の方々と「介助付きコミュニケーション」の体験や練習、また、障害そのものの悩みや情報交換といった会の主旨に合った内容の濃いものになりました。
そこで、実行委員会では、第2回目の開催を考えております。前回、参加された方はもちろん、初めての方・全く経験のない方も大歓迎ですので、ぜひ、お気軽にご参加ください。


日   時  2016年9月24日(土)  13:00~16:00
場   所  二松学舎大学 1号館13階 ラウンジ
(地下鉄半蔵門線・東西線・都営新宿線九段下駅下車。なお、前回  の3号館とは場所が異なりますので、ご注意ください)
内   容  ・介助付きコミュニケーションの紹介や体験
       ・介助付きコミュニケーションを実施している方同士の情報交換
       ・当事者同士の意見交換
                          他


お申し込み  参加を希望される方は、下記のメールアドレスにお名前・ご住所・ご所属を添えてお申し込みください。なお、参加者の概数を把握するために9/17までにお申込みいただければ幸いです。
会費は無料です。
 

問い合わせ先  johokokankai@gmail.com   
介助付きコミュニケーション情報交換会・実行委員会
                         (三好・改田・赤崎・栗山)