相模原の事件について 11月25日

 小学生の女の子Kさんが、9月10月に引き続き、津久井やまゆり園の事件について、以下のように述べた。 
 
 私たちの問題は私たちで解決する。私たちにはしっかりとたたかう準備はできていますから。
 私には今回ほど悔しい思いをしたことはいまだかつてありませんが、中でももっとも悔しかったのは、私たちと同じ立場の話のできる障害者が私たちの言葉の問題についてあまりにも無視を貫いているからです。私にとってはいつか必ず私ががんばっていれば話せる障害者が私たちの言葉の問題を世の中に訴えてくれるだろうと確信していました。
 だから今回ほど私たちの生存に関わる重大な問題に関してきちんとした理解を示すことによって事件の本日をえぐり出してもらいたかったです。そのことが私にとってとても悔しいのは、その問題が整理されないと亡くなった仲間たちの魂が永遠に安らぐことはないからです。魂の安らぎこそ人間の究極の問題だと思っているので、今回のことをきちんとけりをつけてほしいです。私はこの問題ほどに私たち存在を脅かす事件はなかったのだから、今回こそ私たちの人権を回復させるには、この機会をおいてほかにはありえないと思っています。だからこそ今回は私はまだまだあきらめるわけにはいかないのです。


 本日づけのもう一つの文章である大野剛資さんの意見とあい通じるものがあるが、同様の意見が語られるのは、10月に行われたきんこんの会の話し合いなどもまた影響しているのだと思われる。同じ立場の障害者の間を分断しようという意図などはないと大野さんは語っていたが、こうした思いが募っていくのもまた事実だということになる。

第3回  介助付きコミュニケーション情報交換会 開催のお知らせ

第3回 
介助付きコミュニケーション情報交換会
開催のお知らせ



これまで7月と9月に行われた会は、この方法に関心を持つ皆さんが気楽に集い、出会いとつながりが生まれる場となりました。
会終了後、「これからも続けてほしい」という大変嬉しいお言葉をいただき、実行委員会では《第3回介助付きコミュニケーション情報交換会》の開催を企画いたしましたので、ご案内いたします。
初めての方はもちろん、やったことはないけどちょっとやってみたいという方など、少しでもご興味のある方、ぜひ、お気軽にご参加ください。


日  時   2016年12月3日(土)13:00~16:00
場  所   二松学舎大学 4号館7階4071教室
       (地下鉄半蔵門線・東西線・都営新宿線 九段下駅下車)
内  容  ・介助付きコミュニケーションの紹介や体験
       ・介助付きコミュニケーションを実施している方同士の情報交換
       ・当事者同士の意見交換
                            他


お申し込み  参加を希望される方は、下記のメールアドレスにお名前・ご住所・ご所属を添えてお申し込みください。なお、参加者の概数を把握するために11/26までにお申込みいただければ幸いです。
会費は無料です。
 

問い合わせ先  johokokankai@gmail.com   
介助付きコミュニケーション情報交換会・実行委員会
                           (三好・改田・赤崎・栗山)

なぜ私たちの叫びは仲間である話せる障害者には届かないのでしょうか

 以下の文章は、社会の中で一定の発言権を持っている障害者に向けて、母やヘルパーが手を添えて行う筆談を中心にコミュニケーションをとっている大野剛資さんからの意見である。なお、以下の文章は手を添えて行うスイッチ操作でパソコンによって聞き取った文章である。

 なぜ私たちの叫びは仲間である話せる障害者には届かないのでしょうか。私たちの声はわずかだとはいえ世の中に向かって発せられています。なのに話せる障害者からの反応はまったくありません。人間としての基本は表現の自由ですがなどという陳腐な言い方になってしまいますが、まったくまだこのことが認められていないので私たちは楽な体ではないのですが、小さいことかもしれませんが、よく飲みこむことができずにいたとしてもまず知ろうとしてほしいと思います。
 なぜ私たちが今このことにこだわるかというと乱暴な言い方になりますが津久井やまゆり園を重ねてしまうからです。津久井やまゆり園では言葉を有していたはずの仲間が亡くなりました。私たちは理解をされないまま人間としての尊厳を奪われたやまゆりの仲間たちをもう一度正しく理解した上で追悼したいと思うのです。どうかこの私たちの言葉に耳を傾けてください。


 なお、大野さんは、当事者の会であるきんこんの会の中心的な存在で、かつ東京新聞(2013年2月21日、2016年6月4日)や週間金曜日(2013年8月23日)で紹介されたこともあり、『きじの奏で』という著書もある。きんこんの会の声明文もぜひ併せて読んでいただきたい。

相模原の事件について 11月26日

 事件から3月が過ぎた11月26日、Kさんが思いを綴った。

 よじれかえるほどはらわたがにえくりかえる思いでつらい事件について考えてきましたが、わずかに希望を小さなできごとの中に見つけました。それは私たちにも言葉があるように、満足できない努力を続けてきたと感じられる仲間たちが被害に遭ったことを、仲間たちがきちんと先生に伝えていることです。人間として豊かな言葉をそなえていたのを誰にも知られることもなくわずかな理解者だけに見守られて亡くなった方々の魂になんとか応えることができたからですが、まだまだ世間の理解にはほど遠くても仲間には必ず届いたと思いたいです。私たちのがんばりで何とかして世間にも届かせたいですが私たちをもっと無視させないために勉強がしたいです。なぜぬくもりの重要性を説いている人々まで誤解するのかなどもっと詳しく知る必要があります。私たちをいつか社会がが認める日にやまゆり園の人たちの名誉も回復されるでしょう。

第2回介助つきコミュニケーション研究会のお知らせ

第2回介助つきコミュニケーション研究会
『いのちの声を聞く』


  平成28年11月19日土曜日 午後1時~5時00分
  國學院大學横浜たまプラーザキャンパス411教室
 

 介助つきコミュニケ―ションとは、手を添えるなどの介助を通して初めてできるコミュニケーションのことを言います。代表的なものは、介助者に手を添えられて文字を書く方法(筆談)と介助者に手を添えられて文字盤を指さす方法、介助者の「あかさたな…」という声に合図を送って文字を選んでいく方法です。
すでに多くの人がこれらの方法で意思の表現が可能になっており、そのことによって当事者の生活は大きな変化を見せています。
 この研究会は、このことを広く世の中に伝えていくことが目的です。
 第2回目の研究会では、介助つきコミュニケーションと私たちが呼ぶ方法に、先駆的に取り組んでこられたお二人の先生をお招きして、歴史的背景についてお話をしていただくことにしております。
 笹本先生は、長年にわたり、国立特別支援教育研究所で、STA(Soft Touching Assistance)という名称のもと、こうした取り組みを進めてこられました。
 また、鈴木先生は、はぐくみ塾を主宰される中で、筆談によるコミュニケーションの実践を重ねてこられ、現在筆談援助の会を通して、筆談の普及に努めていらっしゃいます。

 きんこんの会シンポジウム「津久井やまゆり園の事件について」

 また、今回は、7月26日に起こった津久井やまゆり園での事件について、きんこんの会のメンバーによるシンポジウムを企画しました。津久井やまゆり園で犠牲になった方々は、「意思疎通の困難な人」とされており、まさに、きんこんの会のメンバーと立場を同じくしています。その立場にある者だからこそ語りうる意見の表明です。

   プログラム

1. 開会式 
2. 講演1 笹本健先生(元・国立特別支援教育総合研究所研究部長) 
3. 実践報告1 実践報告2 
4. 講演2 鈴木敏子先生(筆談援助の会) 
5. きんこんの会シンポジウム 「津久井やまゆり園の事件について」 
(会終了後、7時まで懇親会を予定しています。)

問い合わせ先:〒225-0003 横浜市青葉区新石川3-22-1 國學院大學人間開発学部  柴田保之
 ご参加希望の方は、下記のメールアドレスに、お名前とご所属、お住いの都道府県、懇親会の参加の有無を添えてお申し込みください。なお、参加者の概数を把握するためのものですので、お申し込みがなくても当日の参加は可能です。研究会参加費は無料 です。
 介助つきコミュニケーションや当事者の思いに関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。
連絡用メールアドレス   kinkon@hope.zaq.jp

相模原の事件について 論文の草稿

 津久井やまゆり園の論考の草稿を掲載させていただきました。まだ、決定稿ではありません。
 当事者の言葉を中心にまとめたものなので、関心のある方に読んでいただきたいと考えました。

http://yshibata.info/tukuiyamayuri.pdf

朝日新聞11月4日の記事

津久井やまゆり園の事件で亡くなられた方が、いったいどういう方だったのか、19名という数字と、「重度知的障害」という言葉や「意思疎通ができない」という言葉だけが語られる中で、本当の姿に迫ることができる情報は、皆無だった。
旅行先のホテルで、朝、この記事に接し、圧倒的な存在感と、それゆえに大きな悲しみが圧倒的な勢いで湧き上がった。
事件の一報を聞いて以来、想像することがどうしてもできずにいた一人一人の具体的な姿が写真とエピソードとともに、もはや目をそらすことはできない現実として迫ってきた。
悲しみは新たになるとともに、初めて顔の見えるかけがえのない存在として、事件と向き合うことができた。悲しすぎるからできれば見たくはなかったという思いが湧くのは事実だが、ようやく事件から目をそらさずにすむということも事実であるし、どのような思いでこの取材をお受けしたのかというご家族の深い思いを考えさせていただくと、この事件を考える上でこの記事が決定的な局面を開いていると私は思う。
しっかりと目をそらさずにこの笑顔の写真を見つめることから、今まで伝わらなかった大切なことが伝わると私は思う。
本当の追悼が、この記事によってできるのではないだろうか。
涙が溢れて止まらないが、ようやく、被害に遭われた方と今向かい合うことができたのだと思う。