2017年9月のきんこんの会のお知らせ

 次回のきんこんの会は、2017年9月30日に以下の通り、開催いたします。

日時 2017年9月30日土曜日 午後2時から5時まd
場所 國學院大學横浜たまプラーザキャンパス410教室

 きんこんの会はコミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けています。
 なお、当事者の意思伝達の方法は介助つきコミュニケーションによっていますが、話し合いをより円滑に進めるためには、最速の方法による必要があります。初めてご覧になる方にはたいへんわかりにくい方法なので、もしこの方法に関心をお持ちの方は、きんこんの会当日の空き時間や別の日程でご相談に応じたいと思いますので、ご一報ください。連絡先は、
kinkon@hope.zaq.jp です。どうぞよろしくお願いいたします。

 前回のきんこんの会で、以下のことを決定しました。なお、全員参加の場での決定ではないので、当事者でご意見のある方は、次回のきんこんの会かメール等でお伝えください。
 一つ目は、会員制度をとることです。当事者が自由に参加できる場なのですが、会としての体制を整えるために、定期会員と当日会員とを定め、希望者は定期会員に、それ以外の方は当日参加した時点で当日会員とさせていただきます。
 二つ目は、会長を大野剛資さんに就任したということです。これは、大野さん自身が提案し、みずから立候補して、参加者が賛成多数で決定いたしました。当事者の会長がいることで、きんこんの会は当事者の会としてはっきりしたものになりますし、何か会として発信したいときには、会長名を付して発信できることになりました。

 

相模原の事件をめぐって 2017年8月2日 やまゆり園の仲間たちにささげる俳句

 20代の女性が、やまゆり園の事件から1年経って、寄せた俳句です。

やまゆり園の仲間たちにささげる俳句
 
君たちは心の百合と消え行けり
百合なれば気高きものを無残なり
百合揺れる悲しみ数える指のごと
百合なれば気高きものを哀れなり
百合一輪髪にかざしてひとり泣く
涙かれ百合をたむけて合掌す
見守られ天にのぼりし百合の魂
まぶた閉じ短き命見すえたり
咲き乱るる山ゆりの道ひとり行く
山ゆりの咲き乱れたる我が心
山ゆりの魂迷わす世間なり
山ゆりを何故踏みしだく世の迷い
山ゆりをひたむきにただ生き抜きし
山ゆりをたおりたる手汚れたり
私にも山ゆりのごとき心あり
山ゆりをひたむきに思うひとりきり
山ゆりをひたむきにただ涙かな
うるわしき山ゆりをただもう一度
山ゆりは悲しき響きまといたり
ひととせを山ゆりとともに歩みたり
山ゆりが再び清くなる日待ち
空高く山ゆりのぼり魂を
空高く共にのぼりし山ゆりよ
汚れたる手を今一度清くせよ
ずくずくにぬかるみし地よ再生を
我が大地ぬかるみしままひととせを
ぬかるみし大地再び百合咲けと
我が言葉ぬかるむ地面に吸い込まれ
空しきは我らに言葉無きと言う
心には豊かに言葉育める
大地また百合を育てよ我祈り
心には思い秘めたる亡き仲間
亡き仲間秘めたる言葉知られずに
紫陽花も山ゆりの花悲しむか

相模原の事件をめぐって 2017年8月2日 

 やまゆり園の事件から1年が経った2017年8月2日、20代の女性が次の言葉を綴りました。
 
    《やまゆり園の事件から1年を経過して》

 私たちは言葉があるにもかかわらず、ずっと言葉もなければ何もわかっていない人間としてずっと蔑まれてきました。
やまゆり園の事件ではあからさまにその事が世間にオープンにされたような気がしています。
 1年という長い時間をかけて、世の中がいったい何をこの事件から学び取ったかということについて、私たちはほとんど絶望に近い悶々とした思いを抱いています。
 世の中の良識はどんな命も平等だと言ってくれましたが、私たちの本当の姿は、事件の前と何一つ変わっておらず、亡くなった人達も何も分からない人間として報道され続けています。
私たちは長い時間をかけてこのことを訴えればいいのかもしれませんが、亡くなった人達がそのような誤った認識のまま歴史の闇の中に消え去ってしまうことは、耐えられないものがあります。
 だから、私たちは大きな声でこの一年間「私たちには言葉がある」と叫び続けてきました。
 しかしその声は空しくかき消されるばかりです。
 だから改めて一年が経過したこの時点で、もう一度大きな叫び声を上げたいと思います。
亡くなった顔も知らない仲間たちも、私と同じような障害を持っていたのは間違いないことで、私にはまるで昨日まで一緒に時間を共にしてきた仲間のように感じられるのです。
 この私の叫び声は、親しい仲間を失った叫び声として聞いてほしいと思います。
 私が一年を経過して強く思うことは、残されたやまゆり園の仲間たちの意見も、きちんと取り上げられていないということです。どうしても地域でという意見が正論として出てくることは私も正しいことと思います。
 でも、今回の事件に関する限り仲間たちと共に暮らした時間を犯人によって切り裂かれたわけですから、もう一度事件の前の時間に戻って、そこで仲間たちを追悼したいと思うのはむしろ自然なことではないでしょうか?少なくても私ならそうしたいと思います。
 何も事件がなかったなら、徐々に幸せな形で地域へと移行していくことはとても良いことだったと思いますが、結局事件があったからこんな議論が起こってきているわけですから、反省するべきは事件の前にそのことを問題にできなかったことではないでしょうか?
 だからこの件に関する限り、正論とは別に施設の仲間の意見を最優先にして欲しいです。