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社会に出るにあたって  曽我晴信さんの言葉

    「社会に出るにあたって」 
                       曽我晴信

 僕はとうとう学校を卒業して社会人になることになりましたが、社会人といっても、経済的には何一つ自立もしていないし、生活のほとんど全てを誰かの介護に頼るというものです。
 でも、僕はこのような生活にとても深い意味を感じていて、僕のような全てを誰かに委ねなければ生きられないような存在をきちんと認められる社会こそが、理想の社会であるということの生きた証しのようなものなので、とても存在することに対して深い意味を感じています。
 僕が社会に出たことのもう一つの意味は、こんな僕が一人の人間として生きる意味を社会に堂々とアピールする役割を持っているということです。 僕が社会の中で生きていく意味を明らかにするためには、こうして僕にも普通の言葉が備わっているということを明らかにしなくてはなりませんが、今はまだそのことを信じてくれる人が少なくて、困っているのですが、だからこそ、その問題に僕は僕なりに一生懸命取り組んでみたいと思っています。
 身体も不自由で歩くことも自分で食事をすることも困難で、その上、目もほとんど見えていないのですから、こんな重度の障害者にも、当たり前に言葉があることが示されれば、ほとんどどんな障害があっても、人は皆、人として豊かな言葉の世界を生きていることを証明できるに違いありません。
 そして社会をいつか変えることができたら、僕はそのとき初めて自分自身に向かって、僕はやっぱり生きることについて本当の使命を神様からもらっていたのだと自覚することになると思います。
 社会に出るなどと言っても、通所先と家庭の往復で終わってしまうかもしれませんが、できるだけ一歩ずつ社会に溶け込めるよう頑張るつもりです。

梅の香りの悲しみ 曽我晴信さんの詩

     「梅の香りの悲しみ」
                          曽我晴信

 春が来たというのに、浮かない顔の人が静かに梅の花を眺めている。
 梅の花びらからほんのりとかおる香りの中に、その人は七年前の早春を思うかのようだった。
 七年前のこの頃にたくさんの人が大きな津波に呑まれてしまったから、それ以来、春が来るのが怖くなってしまったのだろう。
 僕もこの七年の間、毎年春が来る度に、悲しみと共に梅の香りを嗅ぐようになった。ほのかな梅の香りは、何もなければ、待ち焦がれた春を先取りする香りだったに違いないのだけれど、あれ以来、梅の香りには悲しみが籠るようになってしまった。
 僕はきっと人生とはこうした悲しみを静かに静かに耐えることから深い意味が生まれてくるものなのだと思う。
 一昨年の夏以来、あの純粋無垢な山百合の花に悲しみが籠ってしまったように。
 でもそこから人はまた立ち上がらなければならないことを僕は知っている。
 僕が生まれたときに咲いていた花は何だったのだろうか。その花を見て悲しみを覚えた人もいたかもしれない。
 しかし、僕はそこから一人静かに生きる意味を紡いてきたから、悲しみは一つの始まりなのだとも言えるかもしれない。

2018年4月のきんこんの会のお知らせ

2018年4月のきんこんの会のお知らせ


日時 2018年4月21日土曜日 午後2時から5時まで
場所 國學院大學横浜たまプラーザキャンパス410教室

 きんこんの会はコミュニケーションに困難をかかえる当事者が、自由に語り合う場です。2010年に誕生し、活動を続けています。
 なお、当事者の意思伝達の方法は介助つきコミュニケーションによっていますが、話し合いをより円滑に進めるためには、最速の方法による必要があります。初めてご覧になる方にはたいへんわかりにくい方法なので、もしこの方法に関心をお持ちの方は、きんこんの会当日の空き時間や別の日程でご相談に応じたいと思いますので、ご一報ください。連絡先は、
kinkon@hope.zaq.jp です。どうぞよろしくお願いいたします。
プロフィール

柴田保之

Author:柴田保之
所属:國學院大學人間開発学部初等教育学科
重度重複障害児の教育、知的障害者の社会教育、介助つきコミュニケーションについて実践的に研究を進めています。

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