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廣瀬岳さんのメッセージ その2(優生思想とパラリンピックについて)

 僕がもう一つ考えてきたのは、優生思想というものについてです。優生思想という考えを最初に教えてくれたのは、やはり父でしたから、父の説明で理解した優生思想なのですが、いろいろな考えがある中、僕たちのような障害者は、社会を進歩させないから排除しようという考えと聞いたのですか、僕はその優生思想というのは、とうの昔に根絶されていたかと、勘違いしていたのですが、根絶どころか、社会のあちらこちらにはびこっているのが、わかるようになりました。というか、この考えを優生思想と名付けたんだったということが、わかったということです。
 出生前の診断もその代表格ですが、僕は、もう一つ最近、とても感じるのは、障害者はやはりいない方がいいけれど、かわいそうだから生かしてやるという考えが社会にはまだまだ根深く残っているのがよくわかっていて、その中で津久井やまゆり園の事件がとても大きな影響をもたらしたのだと思っています。いろいろな論調の中にやはり、障害者のほんとうの生きる意味を探ることは、むずかしいというあきらめのような愕然とするような考えが少しずつ耳に届くようになっているからです。施設の職員さんの中には、そんなことは絶対にないと言いきる人がいますが、施設の職員さんでさえ、奥歯に物がはさまったような言い方をする人もいるので、その優生思想がけっこう世の中にはびこっているために、僕たちの存在が、脅かされているのがよくわかりました。優生思想という言葉を使うのがほんとうに最適なのか僕もまだよくわからないのですが、やはりそういう考えが、世の中にはびこっているということに、しっかり、自覚的にならないと、僕たちは、やはり、生きる場を失ってしまうのでははないかと思うのです。
 特に、パラリンピックもなかなかこわいものだと思っているのは、パラリンピックは、優生思想を体現してる部分があって、障害者と健常者という枠組みでは、お互い平等というふうに見えるかもしれませんがやはりすぐれた障害者とすぐれていない障害者というのが、あまりにもあざやかに描き出されるので、僕はパラリンピックの中にも優生思想が含まれていると思っています。案外当事者は、そんな考えは持っていないと思うのですが、パラリンピックを取り上げる社会の視線はまさに優生思想そのものだと思います。二重に、優生思想が、絡むわけで、健常者から見ると、パラリンピックのアスリートは、やはり、かわいそうな人であることは同じで、そこにはある優生思想が、隠れているのですが、今度、障害者の中に、すばらしい人と、そうでない人を区別する優生思想がひそんでいるので、パラリンピックは、二重の優生思想が社会の側から見たらひそんでいることになります。
 パラリンピックの出場者たちに何の悪意もないどころか、そういうことではなく、ひとりの人生をしっかり生きるために懸命に頑張っているのだけなのですが、それを見る社会は、その二重の優生思想を背景にしていると言わざるを得ないように思います。なぜなら、パラリンピックのニュースが、出てくるたびに、僕たちには関係がないという言葉が聞かれることがあるからです。たしかに僕たちには、関係がないけれど、おんなじ障害者であるし、人間なので、そういうふうな視線から素直に頑張っている人と、頑張っているけれど、それに光があてられない人とがいるというふうにならないと、ほんとうにおかしなことになると思っています。きっと来年、 パラリンピックが開催されることによって、また、この問題がまた議論されることになると思うので、僕は今、先取りしてこの問題をぜひ話しておこうと思いました。(筆談による)

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プロフィール

柴田保之

Author:柴田保之
所属:國學院大學人間開発学部初等教育学科
重度重複障害児の教育、知的障害者の社会教育、介助つきコミュニケーションについて実践的に研究を進めています。

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