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津久井やまゆり園の事件をめぐって

 2月上旬、特別支援学校の高校生が、津久井やまゆり園の事件の裁判をめぐって、次のように述べました。年明けから始まった裁判をめぐる一連の報道を受けて感じたことです。

 私は年が明けてから津久井やまゆり園の事件の裁判が始まった時から、とても心に引っかかっていることがあります。それは犯人の生産性という言葉でした。私たちは生産性はあまりないけれど、それが人間の価値とどうつながるのだろうと言われているような気がしたので、改めて人間の価値と生産性について考えてみたのですが、私は生産性は、人間の中で確かに大切なことかもしれないけれど、人の本当の価値とはあまり関係がないのではないかと思うようになりました。私も作業はいくらかできますが、私よりももっと上手な人もいれば、私よりももう少し上手に作業のできない人もいるけれど、上手にできる人もあまり上手にできない人も、みんな大切な仲間だということに気がついて、やっぱり生産性は私たちにとって、人の価値を決めることとは関係がないということに気がつきました。
 でもじゃあ私たちの価値って何なのかと思ったときに、それは人と人とがともに支え合うところにあるのではないかと思いました。私たちは、作業ができる人もできない人も大切な仲間としていつも支え合って生きています。だから私たちの価値を決めるものはやはり、人と人とが支え合うということではないかと思います。
 今回のニュースでとっても気になるのは、そのことを紹介しているアナウンサーも生産性がないこと自体にとてもとまどっているように見えることです。生産性がなくたって大丈夫、人は人と支え合うことにこそ価値があるのだから、犯人は何ということを言っているのでしょうねえと、ばっさり言ってくれればすむことなのに、誰もそのことは言わないから、やっぱり生産性のない人は、人間としては劣っているけれど、人間は劣っている人も大事にするぐらい偉大な存在だから、私たちのような荷物の存在も、ちゃんと生かしてあげているのよというふうな、私たちからするととても上からのものの言い方に聞こえてくるので、それはちがうのではないかというふうに思うようになりました。だから、私は、自分の人生を、仲間とともに支え合うことで大切な価値を実際に行動として生きていく人生を生きていきたいなあと思うようになりました。そうやって私たちがともに支え合うことことそ、人間の生きる価値なんだということを実際に行動で示せば、世の中の人にもそのことが伝わって、社会はもっとよくなっていくのではないかと、そんなふうに思うようになりました。

コメント

ありがとう

今回の高校生の方の記事、とても心に染みました。全ての人が存在しているだけで、喜ばれ価値のある存在だと言うことは、心の重荷が降りて楽になる世界なのでしょう。本当はそうなのに日々の生活では、人はどこか追われるように何かしらの働きを周囲に見せて、存在価値を示している所があります。けれど、自分がここにある それだけで良くて、欠かせない世界のピースであると言う世界は、自分の存在が根底から許されたような安らかを感じます。赤ちゃんや病気の方、歳をとり老いた方、何か弱い所がある方々(全ての人がそうなるなですが)は、それを教えて下さる 愛の先生なのですね。

Re: ありがとう

コメントありがとうございました。

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プロフィール

柴田保之

Author:柴田保之
所属:國學院大學人間開発学部初等教育学科
重度重複障害児の教育、知的障害者の社会教育、介助つきコミュニケーションについて実践的に研究を進めています。

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