相模原の事件をめぐって 8月25日


自閉症の滋賀県の小学4年生の、行動面でとても障害のあるとされる男の子、Nさんの言葉です。

 僕は昨日からずっと先生の口を通して自分の言葉で反論をしたいと思いましたが、この事件については、僕たちのようななかなかうまく話せない人たちを目標にした事件で、僕はとても悔しいい思いをさせられました。僕のように行動面でも障害があると言われている人は、行動障害という名前がつけられていてそれこそ施設で薬っけにさせられるのがよくあることですから、もし僕のお母さんが病気にでもなったら僕もきっとあの施設のようなところに行かなくてはならないので、とても恐かったです。
あのような犯人はそんなにたくさんいるわけではありませんが、この犯人のような考えを持った人はけっこうたくさんいるし、僕を見てこの子のような子が生きていて何の意味があるのかとこっそりささやく人はたくさんいましたから、僕は犯人のような考えがあちこちにあるのを知っています。
だから、僕はほんとうの僕たちの姿をしっかりと伝えて、世の中の人たちの考えを正さないといけないと思っています。
でもまだまだその道は遠いような気がしたのは、僕たちのような子どもの意見をまったく取り上げてはくれていないからです。だから僕は先生の口を借りてではあるけれどこのことを僕の意見として言いたいと思いました。


 この言葉を横で聞いていた自閉症と言われる20代の青年は次のように語りました。

 僕はこの事件が起きた時から一生懸命新聞やテレビをくまなく見続けてきました。幸い字の情報は僕にはとらえやすいので、みんなのためにも僕の役割だと思って一生懸命見ていましたが、何人かの専門家がはっきりと意識のない人という言い方をひていたのを僕はしっかりと目に焼き付けています。その人たちに何の悪気もないとはいえ、明らかにちゃんとした事実を認識していないということが感じられたので、僕はその専門家たちに、いつかきちんと反論しなくてはいけない。
この事件の重さは普通ではないと感じました。どうして犯人がやまゆり園の被害者を殺したかという理由を、本人が書いているように、優生思想そのものを持ってしては人を殺すことはむりだと思うので、犯人は自分自身を含めて何かを壊したいという衝動がきっとあって、その衝動のままに事件を起こしたとしか思えません。出生前診断のときの言い訳は、人を殺してはいないということなので、人を殺すことは人間にはむずかしいことなのだと思いますが、時に人は人を殺すものなので、そのことはまた別に考える必要があると思います。
もう一つ許せない感じがしたのは、被害者の公表されるべきかどうかについて、あまりにも浅薄な議論しかなされていなかったことです。確かに人が一人というか、たくさん亡くなったのだからその名前くらい公表して、その人の人生をきちんと悼むということは大事なことですが、人のいのちの亡くなる痛みは、その人をほんとうにかけがえがないと思える人にしか悼むこともできないものですから、意識がないと思っている人たちに対して、いくら公表しても、誰もほんとうの意味を感じることができないどころかかえってその人たちの命に対して、冒瀆にすらなるのではないかと思います。だから今回、名前を家族が出さない理由は、ただでさえ自分たちを差別してきた世の中が、どうしてこの時だけ自分たちをほんとうに理解するなどということがあるだろうかという考えにならのは当たり前だと思います。ほんとうにわかってくれる人たちだけが、あの被害者を悼むことができるので、僕は今回名前が出ないことの背景にも深い問題が横たわっていることを感じました。
 あとはNさんの話と重なることです。
僕たちの仲間はしっかりとした意識、深い深い考えをもって生きているということから、もう一度この事件の全体を見直さないと、この事件全体の見方がおかしくなる。
亡くなった人たちに対して一番の追悼になるのは、この事件をきっかけとして、ほんとうの理解が少しでも得られることが、実際に起こることが必要だと思います。
ぜひみんな、ほんとうの僕たちの姿を伝えて、仲間に対する追悼をしたいと思います。
そう簡単ではないのですが、少しでも見直しが進めば何かの追悼ができるのではないかと思います。
それから、犯人をどう許すかという問題です。犯人を死刑にするということになるしかないと思いますが、もしかしたら責任能力がなかったということになるかもしれませんが、今のところ死刑制度があるかぎり、この事件の規模からいうと死刑はまぬがれませんが、この事件ほど死刑が空しいものはないと思います。なぜなら、死刑の意味がどこにあるかというと犯人が、間違っていることがはっきりしているからみんなも納得してしまうのですが、今回の事件の怖さは、犯人の行為は否定しても、犯人の思想は否定されないということです。行為は一致しますが、思想については、どこかで同意しているところもあるのではないかと思うので、この死刑は、なんだか、正しいことなのに表面上まちがっているという考えを最後に残してしまう気がします。
だから、死刑はではなくて、犯人自身の考えの悔い改めこそが必要だと思います。僕はまちがっていたというだけでなく、みんなもまちがっているとあの犯人の口から言われないとこの事件の解決にはならないと思います。死刑ではなく人を許すことが大事だと思います。

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プロフィール

柴田保之

Author:柴田保之
所属:國學院大學人間開発学部初等教育学科
重度重複障害児の教育、知的障害者の社会教育、介助つきコミュニケーションについて実践的に研究を進めています。

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