NHKの番組を受けて

 12月6日、7日にNHKで放映された津久井やまゆり園の番組は、大変感銘を受けるものだった。なくなった方々の人生のかけがえのなさに真正面からぶつかったものだったからだ。
 だか、なぜ、あえて、「言葉はなくとも」というタイトルを冠する必要があったのだろうか。
繰り返し当事者の発言を取り上げてきた立場からすると、言葉があった人たちだったはずなのになぜ、その声を無視するのかということになる。
 知らないから仕方ないとは思う一方で本当に知らなかったのかとの思いは、ぬぐえない。
私の実感では、私は極めて異端者として見られていると思うのだが、なぜ、生きる意味はないとの主張を垂れ流す人たちのネット上の言葉は紹介されるのに、言葉があるなどとおかしなことを言ってる人もいるとは取り上げてももらえないのだろうか。
 もちろん、ただの言いがかりにすぎないが、発しても発しても言葉が届かないということは、途方もない徒労感をもたらす。もちろん私の徒労感など大したものではない。しかし、言葉がありながらそのことが理解されずにいて、ようやくその手段を手に入れたにもかかわらず、そのことが理解されず、悲しい事件に際して、もっとも近い立場から必死の声をあげても空に消えてしまうということをめぐる当事者の徒労感はとてつもなく大きなものとなっている。

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まったく、同感です。

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