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相模原の施設の事件をめぐって

 津久井やまゆり園の残酷な事件が報道された日、曽我晴信さんが研究室を訪れた。そしてパソコンで以下の文章を綴った。

 人生を人を殺傷することに費やす人がいるということが僕には理解できないとはいえ人が憎しみのために人を殺すということはそれでも理解できなくはありません。しかし理想や宗教のために人を殺傷するというのが現在のテロリズムなのでこれは徹底的に考えなくてはいけないことだと思いました。
 そういうことを考えている矢先に障害者施設で事件が起きてしまいました。まだ詳しいことは明らかにはなってはいませんがつらいのは当然ですが理想によって障害者が抹消されたことを僕は重大に考えています。なぜなら僕たちが世の中に存在する価値があるかどうかが問われているからです。
 わずかな希望はこのニュースを語る人も聞く人も失われた命はみな同じだと考えていることはわかったからです。人間は生まれる前の命には違いをつけてしまったけれど生まれたあとの命にはまだ違いをつけていないことがわかったからです。
 わずかな希望ですがもう一度生まれる前の命もまた同じ命だということがわかるきっかけになるかもしれません。

 
 全て明らかになるのは、これからだが、最低限のことを述べておきたい。
 犯人の青年個人だけを見れば、そこに見えてくるのは、きわめて個人的な挫折や抑圧などだろう。しかし、その鬱屈した感情に言葉を与えたのは、社会の無意識、あるいは社会の暗部に存在する思想なのではないか。彼が引き寄せたというのがいいのか彼が引き寄せられたといったらよいのかわからないが、この社会の無意識や暗部に存在する「思想」を明るみに引きずりだして、しっかりと向かい合わなければならない。
 石原慎太郎が重心の施設で「この人たちに人格はあるのか」と問うた時、その言葉をたたいたことはまちがいではないが、この意見に対して、「こういう意味で人格がある」という考えがしっかりと語られないままになってしまい、結果的に石原の問いはそのまま社会の暗部に消えないまま残り続けてしまった。
 この悲惨な事件が、さらに悲惨なものにならないためにも、亡くなられた方々の真の生きる意味がきちんと語り出されていかなければならない。

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プロフィール

柴田保之

Author:柴田保之
所属:國學院大學人間開発学部初等教育学科
重度重複障害児の教育、知的障害者の社会教育、介助つきコミュニケーションについて実践的に研究を進めています。

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