相模原の事件をめぐって 2017年8月2日 

 やまゆり園の事件から1年が経った2017年8月2日、20代の女性が次の言葉を綴りました。
 
    《やまゆり園の事件から1年を経過して》

 私たちは言葉があるにもかかわらず、ずっと言葉もなければ何もわかっていない人間としてずっと蔑まれてきました。
やまゆり園の事件ではあからさまにその事が世間にオープンにされたような気がしています。
 1年という長い時間をかけて、世の中がいったい何をこの事件から学び取ったかということについて、私たちはほとんど絶望に近い悶々とした思いを抱いています。
 世の中の良識はどんな命も平等だと言ってくれましたが、私たちの本当の姿は、事件の前と何一つ変わっておらず、亡くなった人達も何も分からない人間として報道され続けています。
私たちは長い時間をかけてこのことを訴えればいいのかもしれませんが、亡くなった人達がそのような誤った認識のまま歴史の闇の中に消え去ってしまうことは、耐えられないものがあります。
 だから、私たちは大きな声でこの一年間「私たちには言葉がある」と叫び続けてきました。
 しかしその声は空しくかき消されるばかりです。
 だから改めて一年が経過したこの時点で、もう一度大きな叫び声を上げたいと思います。
亡くなった顔も知らない仲間たちも、私と同じような障害を持っていたのは間違いないことで、私にはまるで昨日まで一緒に時間を共にしてきた仲間のように感じられるのです。
 この私の叫び声は、親しい仲間を失った叫び声として聞いてほしいと思います。
 私が一年を経過して強く思うことは、残されたやまゆり園の仲間たちの意見も、きちんと取り上げられていないということです。どうしても地域でという意見が正論として出てくることは私も正しいことと思います。
 でも、今回の事件に関する限り仲間たちと共に暮らした時間を犯人によって切り裂かれたわけですから、もう一度事件の前の時間に戻って、そこで仲間たちを追悼したいと思うのはむしろ自然なことではないでしょうか?少なくても私ならそうしたいと思います。
 何も事件がなかったなら、徐々に幸せな形で地域へと移行していくことはとても良いことだったと思いますが、結局事件があったからこんな議論が起こってきているわけですから、反省するべきは事件の前にそのことを問題にできなかったことではないでしょうか?
 だからこの件に関する限り、正論とは別に施設の仲間の意見を最優先にして欲しいです。

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プロフィール

柴田保之

Author:柴田保之
所属:國學院大學人間開発学部初等教育学科
重度重複障害児の教育、知的障害者の社会教育、介助つきコミュニケーションについて実践的に研究を進めています。

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