相模原の事件をめぐって 2017年8月2日 やまゆり園の仲間たちにささげる俳句

 20代の女性が、やまゆり園の事件から1年経って、寄せた俳句です。

やまゆり園の仲間たちにささげる俳句
 
君たちは心の百合と消え行けり
百合なれば気高きものを無残なり
百合揺れる悲しみ数える指のごと
百合なれば気高きものを哀れなり
百合一輪髪にかざしてひとり泣く
涙かれ百合をたむけて合掌す
見守られ天にのぼりし百合の魂
まぶた閉じ短き命見すえたり
咲き乱るる山ゆりの道ひとり行く
山ゆりの咲き乱れたる我が心
山ゆりの魂迷わす世間なり
山ゆりを何故踏みしだく世の迷い
山ゆりをひたむきにただ生き抜きし
山ゆりをたおりたる手汚れたり
私にも山ゆりのごとき心あり
山ゆりをひたむきに思うひとりきり
山ゆりをひたむきにただ涙かな
うるわしき山ゆりをただもう一度
山ゆりは悲しき響きまといたり
ひととせを山ゆりとともに歩みたり
山ゆりが再び清くなる日待ち
空高く山ゆりのぼり魂を
空高く共にのぼりし山ゆりよ
汚れたる手を今一度清くせよ
ずくずくにぬかるみし地よ再生を
我が大地ぬかるみしままひととせを
ぬかるみし大地再び百合咲けと
我が言葉ぬかるむ地面に吸い込まれ
空しきは我らに言葉無きと言う
心には豊かに言葉育める
大地また百合を育てよ我祈り
心には思い秘めたる亡き仲間
亡き仲間秘めたる言葉知られずに
紫陽花も山ゆりの花悲しむか

相模原の事件をめぐって 2017年8月2日 

 やまゆり園の事件から1年が経った2017年8月2日、20代の女性が次の言葉を綴りました。
 
    《やまゆり園の事件から1年を経過して》

 私たちは言葉があるにもかかわらず、ずっと言葉もなければ何もわかっていない人間としてずっと蔑まれてきました。
やまゆり園の事件ではあからさまにその事が世間にオープンにされたような気がしています。
 1年という長い時間をかけて、世の中がいったい何をこの事件から学び取ったかということについて、私たちはほとんど絶望に近い悶々とした思いを抱いています。
 世の中の良識はどんな命も平等だと言ってくれましたが、私たちの本当の姿は、事件の前と何一つ変わっておらず、亡くなった人達も何も分からない人間として報道され続けています。
私たちは長い時間をかけてこのことを訴えればいいのかもしれませんが、亡くなった人達がそのような誤った認識のまま歴史の闇の中に消え去ってしまうことは、耐えられないものがあります。
 だから、私たちは大きな声でこの一年間「私たちには言葉がある」と叫び続けてきました。
 しかしその声は空しくかき消されるばかりです。
 だから改めて一年が経過したこの時点で、もう一度大きな叫び声を上げたいと思います。
亡くなった顔も知らない仲間たちも、私と同じような障害を持っていたのは間違いないことで、私にはまるで昨日まで一緒に時間を共にしてきた仲間のように感じられるのです。
 この私の叫び声は、親しい仲間を失った叫び声として聞いてほしいと思います。
 私が一年を経過して強く思うことは、残されたやまゆり園の仲間たちの意見も、きちんと取り上げられていないということです。どうしても地域でという意見が正論として出てくることは私も正しいことと思います。
 でも、今回の事件に関する限り仲間たちと共に暮らした時間を犯人によって切り裂かれたわけですから、もう一度事件の前の時間に戻って、そこで仲間たちを追悼したいと思うのはむしろ自然なことではないでしょうか?少なくても私ならそうしたいと思います。
 何も事件がなかったなら、徐々に幸せな形で地域へと移行していくことはとても良いことだったと思いますが、結局事件があったからこんな議論が起こってきているわけですから、反省するべきは事件の前にそのことを問題にできなかったことではないでしょうか?
 だからこの件に関する限り、正論とは別に施設の仲間の意見を最優先にして欲しいです。

相模原の事件をめぐって 7月26日その2



NHKの特集番組を家で耳にした全盲のKさんが、語った言葉を、お母さんからメールでいただいた。お母さんは、指筆談でKさんの言葉をききとっている。

今日、相模原津久井やまゆり園の事件から一年が経ち、新聞や民放のニュースでも取り上げられていました。ハートネットTVの特集を観ながら、Kに意見を聞いてみましたので、先生にお知らせいたします。

一年が経ったんだね。
もう、過ぎ去ってしまうことで忘れられちゃうんだ。また、思い出してくれるかな。
生産性がないのは確かだし(番組内で「生産性がない障害者は死ねばいい」と言うコメントが紹介された)、障害者は死ねばいいなんて思う人も多いと思う。
僕たちがなにも言わないから。
もっと発信する機会がほしい。
もっとテレビで取り上げてほしい。
思うのは勝手だけど言っちゃいけないこともあるって言いたい。
あの事件でこういうことを言う人が増えた。
なんでも言えば良いってことじゃないんだ。
もっと発信していきたいです。


以上です。

相模原の事件をめぐって 7月26日

ラインで次のようなやりとりがあった。
R君は、10代の少年。家族と筆談で会話ができる。
最初は、お母さんからの言葉だった。

昨日の晩からRが大変です。やまゆりに思いを馳せて今朝、献花に行きたいといいました。つらいらしいです。

事情がよく飲み込めたわけではなかったが、すぐに以下のような返事をした。

気持ちは大切ですが、じっくりあたためることが今は大切だとお伝えください。

そして、今度は本人からの言葉が届いた。

今日、やまゆりに行けなかったのは残念ですが理解してもらえておちつけました。R

この問題に胸を痛めるすべての人が、様々な思いで向かい合った1年目の日だった。

NHKが触れない意見

相模原の事件から1年が経った。NHKは、一生懸命、当事者の思いを伝えていて、それは、たいへん貴重なものだった。
いのちのかけがえなさが、切実に語られ、その意見に、世の中が一生懸命耳を傾けることが、この事件でもっとも重要なことだと思う。
しかし、また、マイナスの意見も紹介していた。私は、顔と名前を出して語る人の意見ならば聞く価値もあると思うが、匿名の意見は、 ただただ不快だった。
そして、半年前も書いたが、私たちの、被害者には、言葉があったという意見を、「妄想」としてでもいいから、紹介してほしいと思う。なぜ、あの様な無責任な意見を垂れ流すことには、積極的なのに、言葉があるかもしれないという可能性を隠蔽するのだろうか。
私の周囲の当事者は、隠されることに深く傷ついている。